何もないところがいいところ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日、ついに念願のそば祭りを漆平野で開催することができました。
まぁ、祭りと言ってもそんに大々的なものではなくて、集まれる人達を集めて、みんなで蕎麦を食べる、といういたってシンプルなものです。
梨久保地区では、みんなで集まるというずくや気力が無いため、またそば自体好きじゃない人も居て、漆平野のような訳にはできないと判断し、希望する方にそば粉を直接渡すことにしました。
しかーし、ここまで来る道のりは大変でした。
畑の除草から始まり、畝立て、播種。
強風で茎の弱いそばが倒れてしまったり、鹿よけネットが倒れて一部食べられてしまったりというアクシデントがあったものの、無事収穫を迎えました。
収穫まではあまり手間の掛からないそば。
手間のかかるのは、実はこれからで、乾燥させて脱穀、そして石が混じってしまったために実と石とを分ける選別作業(最終的には手で取り除く)を行い、ようやく製粉となります。
製粉も石臼を使って挽くと、機械と違って摩擦による風味低下を防ぐことができ、美味しい蕎麦が出来るそうですが、今回は全量お隣下條村の個人宅にて製粉をお願いしました。
実だけだと30kg余あった蕎麦も、製粉後は12kgと目減りがハンパなかったのですが、1人前約130gのそば粉を使うそうなので、単純に100人前近くのそば粉が取れたことになります。
各集落のみなさんに味わってもらう前に、そば打ちをしてもらい試食をしたのですが、これがうまい。
今まで食べた蕎麦は蕎麦じゃない!というのは大げさかもしれませんが、それくらい風味が強かったのです。
泰阜村でも美味しい蕎麦が作れる、ということがわかり、何事もやってみなきゃ分からないなぁと思いました。
今回の蕎麦は、出来る人に蕎麦を練るところから教えてもらって、手伝ってもらいながら作ったものです。
100%泰阜村産のそば粉を使った蕎麦を泰阜村の人に食べてもらえる、ということに素直に喜びを感じました。
素人が作った蕎麦なので、短くて少しやわめの蕎麦になりましたが、みなさん喜んで食べてくれました。
そば湯を初めて飲んだ、という人もいました。また、こうして集まるのは何年ぶりだろうか、とこの集まり自体に懐かしさを感じている人も居て、いろんな意味でもこの企画はやって良かったと思います。
今年は緑のふるさと協力隊の時のように集落に関わる時間が減ると思いますが、できれば個人的にそばと、つなぎの小麦をも栽培して、「泰阜村産のそば粉と泰阜村産小麦をつなぎを使って100%純泰阜村産蕎麦を作る」ことができればいいなぁ、と思いつきながら考えています。
泰阜村にはまだまだうもれた可能性がたくさんありますね。
漆平野そば祭りにて
梨久保そば配布
まぁ、祭りと言ってもそんに大々的なものではなくて、集まれる人達を集めて、みんなで蕎麦を食べる、といういたってシンプルなものです。
梨久保地区では、みんなで集まるというずくや気力が無いため、またそば自体好きじゃない人も居て、漆平野のような訳にはできないと判断し、希望する方にそば粉を直接渡すことにしました。
しかーし、ここまで来る道のりは大変でした。
畑の除草から始まり、畝立て、播種。
強風で茎の弱いそばが倒れてしまったり、鹿よけネットが倒れて一部食べられてしまったりというアクシデントがあったものの、無事収穫を迎えました。
収穫まではあまり手間の掛からないそば。
手間のかかるのは、実はこれからで、乾燥させて脱穀、そして石が混じってしまったために実と石とを分ける選別作業(最終的には手で取り除く)を行い、ようやく製粉となります。
製粉も石臼を使って挽くと、機械と違って摩擦による風味低下を防ぐことができ、美味しい蕎麦が出来るそうですが、今回は全量お隣下條村の個人宅にて製粉をお願いしました。
実だけだと30kg余あった蕎麦も、製粉後は12kgと目減りがハンパなかったのですが、1人前約130gのそば粉を使うそうなので、単純に100人前近くのそば粉が取れたことになります。
各集落のみなさんに味わってもらう前に、そば打ちをしてもらい試食をしたのですが、これがうまい。
今まで食べた蕎麦は蕎麦じゃない!というのは大げさかもしれませんが、それくらい風味が強かったのです。
泰阜村でも美味しい蕎麦が作れる、ということがわかり、何事もやってみなきゃ分からないなぁと思いました。
今回の蕎麦は、出来る人に蕎麦を練るところから教えてもらって、手伝ってもらいながら作ったものです。
100%泰阜村産のそば粉を使った蕎麦を泰阜村の人に食べてもらえる、ということに素直に喜びを感じました。
素人が作った蕎麦なので、短くて少しやわめの蕎麦になりましたが、みなさん喜んで食べてくれました。
そば湯を初めて飲んだ、という人もいました。また、こうして集まるのは何年ぶりだろうか、とこの集まり自体に懐かしさを感じている人も居て、いろんな意味でもこの企画はやって良かったと思います。
今年は緑のふるさと協力隊の時のように集落に関わる時間が減ると思いますが、できれば個人的にそばと、つなぎの小麦をも栽培して、「泰阜村産のそば粉と泰阜村産小麦をつなぎを使って100%純泰阜村産蕎麦を作る」ことができればいいなぁ、と思いつきながら考えています。
泰阜村にはまだまだうもれた可能性がたくさんありますね。
漆平野そば祭りにて
梨久保そば配布
PR
自然の力に頼り、農薬や肥料を加えずに作物を育てる、いわゆる「自然農法」がある。
僕が高校生の頃、何をきっかけにしてかは覚えていないが、この自然農法という考え方に衝撃を受けた記憶がある。
無肥料栽培
http://www.h3.dion.ne.jp/~muhi/
このHPが自然農法を知る最初の一歩だった。
それからは既存の農法に大して疑問をもつようになったし、より農業に興味を持つきっかけとなった。
しかし、高校で学んできたこととは全く逆。
肥料も農薬も与えないで作物を育てる。
そんなことが可能なのか?
「肥料は毒であり、人間の欲である」
「いわゆる”肥毒”が、作物に病気や虫食いとなって現れる」
「そして病気や虫を防ぐために農薬を散布する」
なるほど、肥料が毒とすると、それによってすべてがおかしくなると。
肥料を施す→それによって虫食いや病気が発生する→それらを防ぐために農薬を使う
基本は肥料を施さないことにあるようだ。
実際に自然農法で農業を営んでいる人は日本に多く居る。
しかし、自然の力にのみ頼る自然農法の最大の問題点は、収量だ。
慣行農法に比べれば、環境への負荷という面ではメリットがある。
しかし、慣行農法より収量が取れないようでは、真に農法と呼べるものではない。
慣行農法並~それ以上の収量を上げてこそ、農法である。
そんなことに気づかせてくれたのが、今までに何度か紹介してきた「炭素循環農法」だ。
この存在を知ったのは大学3年の頃だったと思う。
自然農法を卒論のテーマにとりあげるつもりで、いろいろと調べていたところ、この農法の存在を知った。
炭素循環農法
http://page.freett.com/tenuki/etc/home.html
この農法のすごいところは、自然農法の弱点である収量の問題をクリアしつつ、かつ理論的、科学的にその合理性を見事に説明しているし、実際にブラジルにてその農法を実践して成果を上げていることだ。
自然農法に似て非なる農法、それが炭素循環農法。
興味はあるが、生まれてこの方活字が嫌いな性分で、なかなか読む気が起きなくて、まだまだ理解不足な点ばかりだが、この農法を泰阜村農藝塾準備期間中から研究をかねて一部取り入れてみたいと考えているところだ。
もしこれが泰阜村で確立できれば、すごいことになるかもしれない。
生産者や環境への負担が少ないのに、高品質な作物が採れる。
加えて、農業の知識や技術は一切必要ない。
農業に興味があっても敷居が高い、なんていう若者にはとてもとっつきやすい。
きっとお年寄りなら、こんなにいいものがあるわけない、と鼻から否定するだろうが。
努力や頑張り=良い結果として現れるとは限らない、ということを知るべきだ。
(だからといって努力や頑張りを否定しているわけではないが)
先に述べた、肥料は毒である(=肥毒)という考え方と同じで、実は農業についても、時代の流れと共に人間が勝手に細分化複雑化させすぎたのかもしれない。
これは、農業に限らずいろんなことに言える。
例えば大学の科目。
自分が居た農大の国際農業開発学科は、国際食料情報学部、という学部の中にあった。
他にも食料環境経済学科やバイオビジネス学科といった科がある。
就活の時、履歴書に学部から書く度、枠いっぱいになっていたのは記憶に新しい。
食料だの環境だの横文字だの学生が興味をそそるような単語を並べているだけな気がしてならない。
結局のところ、すべては農業という大枠の中にあるものの1つに過ぎない。
細かくすればするほど、深化する分本質を見失う可能性が高い。
専門科目が増える=大学側の収入を増やすため、という式は大学の教授が言っていた。所詮そんなものだろう。
今手元に、学研から出ている「野菜だより 新春号」がある。
炭素循環農法の紹介が書かれていることを知って、早速購入したものだ。
この中に、
「農」という字は「畑の植えに草を敷く」を意味する象形文字らしい、という。
また、栽培の「培」は、伝承的に「空気を入れる」という意味だった、とも。
(p.45より引用)
という文章があった。炭素循環農法はまさにそれを実践している。
別ページには、なるほどなという一文が。
虫がつく野菜は、腐敗している。食(人に良いと書く)べ物ではない。
(p.47より引用、一部誇張)
これからは、人に良いものを作っていく。これは当たり前に息をするのと同じくらい必然なものとなっていく。
それが「食べ物」である。それ以外は「食べ物」ではない。
不要なものは淘汰され、必要なものを残していく。これはごくごく自然の法則である。
泰阜村の農業はそれを目指す。
食べ物を作る。商品を作るのではなく、人に良いものを作る。
それが農業の基本だと思う。それができない農業は、もはや農業ではない。
ある人が、
「有難う、という言葉は「難」が「有」ってこそ出てくる言葉なんだ」と言っていた。
言葉って面白い。
村の中にこのブログを読んでくれている人がいると思うと、なんか気合入れて書いてしまうのでした。
まとまり悪くてすいません。いつものこと、とか言わないで。
僕が高校生の頃、何をきっかけにしてかは覚えていないが、この自然農法という考え方に衝撃を受けた記憶がある。
無肥料栽培
http://www.h3.dion.ne.jp/~muhi/
このHPが自然農法を知る最初の一歩だった。
それからは既存の農法に大して疑問をもつようになったし、より農業に興味を持つきっかけとなった。
しかし、高校で学んできたこととは全く逆。
肥料も農薬も与えないで作物を育てる。
そんなことが可能なのか?
「肥料は毒であり、人間の欲である」
「いわゆる”肥毒”が、作物に病気や虫食いとなって現れる」
「そして病気や虫を防ぐために農薬を散布する」
なるほど、肥料が毒とすると、それによってすべてがおかしくなると。
肥料を施す→それによって虫食いや病気が発生する→それらを防ぐために農薬を使う
基本は肥料を施さないことにあるようだ。
実際に自然農法で農業を営んでいる人は日本に多く居る。
しかし、自然の力にのみ頼る自然農法の最大の問題点は、収量だ。
慣行農法に比べれば、環境への負荷という面ではメリットがある。
しかし、慣行農法より収量が取れないようでは、真に農法と呼べるものではない。
慣行農法並~それ以上の収量を上げてこそ、農法である。
そんなことに気づかせてくれたのが、今までに何度か紹介してきた「炭素循環農法」だ。
この存在を知ったのは大学3年の頃だったと思う。
自然農法を卒論のテーマにとりあげるつもりで、いろいろと調べていたところ、この農法の存在を知った。
炭素循環農法
http://page.freett.com/tenuki/etc/home.html
この農法のすごいところは、自然農法の弱点である収量の問題をクリアしつつ、かつ理論的、科学的にその合理性を見事に説明しているし、実際にブラジルにてその農法を実践して成果を上げていることだ。
自然農法に似て非なる農法、それが炭素循環農法。
興味はあるが、生まれてこの方活字が嫌いな性分で、なかなか読む気が起きなくて、まだまだ理解不足な点ばかりだが、この農法を泰阜村農藝塾準備期間中から研究をかねて一部取り入れてみたいと考えているところだ。
もしこれが泰阜村で確立できれば、すごいことになるかもしれない。
生産者や環境への負担が少ないのに、高品質な作物が採れる。
加えて、農業の知識や技術は一切必要ない。
農業に興味があっても敷居が高い、なんていう若者にはとてもとっつきやすい。
きっとお年寄りなら、こんなにいいものがあるわけない、と鼻から否定するだろうが。
努力や頑張り=良い結果として現れるとは限らない、ということを知るべきだ。
(だからといって努力や頑張りを否定しているわけではないが)
先に述べた、肥料は毒である(=肥毒)という考え方と同じで、実は農業についても、時代の流れと共に人間が勝手に細分化複雑化させすぎたのかもしれない。
これは、農業に限らずいろんなことに言える。
例えば大学の科目。
自分が居た農大の国際農業開発学科は、国際食料情報学部、という学部の中にあった。
他にも食料環境経済学科やバイオビジネス学科といった科がある。
就活の時、履歴書に学部から書く度、枠いっぱいになっていたのは記憶に新しい。
食料だの環境だの横文字だの学生が興味をそそるような単語を並べているだけな気がしてならない。
結局のところ、すべては農業という大枠の中にあるものの1つに過ぎない。
細かくすればするほど、深化する分本質を見失う可能性が高い。
専門科目が増える=大学側の収入を増やすため、という式は大学の教授が言っていた。所詮そんなものだろう。
今手元に、学研から出ている「野菜だより 新春号」がある。
炭素循環農法の紹介が書かれていることを知って、早速購入したものだ。
この中に、
「農」という字は「畑の植えに草を敷く」を意味する象形文字らしい、という。
また、栽培の「培」は、伝承的に「空気を入れる」という意味だった、とも。
(p.45より引用)
という文章があった。炭素循環農法はまさにそれを実践している。
別ページには、なるほどなという一文が。
虫がつく野菜は、腐敗している。食(人に良いと書く)べ物ではない。
(p.47より引用、一部誇張)
これからは、人に良いものを作っていく。これは当たり前に息をするのと同じくらい必然なものとなっていく。
それが「食べ物」である。それ以外は「食べ物」ではない。
不要なものは淘汰され、必要なものを残していく。これはごくごく自然の法則である。
泰阜村の農業はそれを目指す。
食べ物を作る。商品を作るのではなく、人に良いものを作る。
それが農業の基本だと思う。それができない農業は、もはや農業ではない。
ある人が、
「有難う、という言葉は「難」が「有」ってこそ出てくる言葉なんだ」と言っていた。
言葉って面白い。
村の中にこのブログを読んでくれている人がいると思うと、なんか気合入れて書いてしまうのでした。
まとまり悪くてすいません。いつものこと、とか言わないで。
思いつきですぐ行動出来る人を見ると、すごいなぁと思います。
なぜなら自分はある程度先を考えてから行動するタイプなので、自分とは真逆のタイプの人を見ると、そのギャップに驚く反面、その行動力に羨ましさを感じるからです。
「背の低い人が高い人を好きになる」
「体系のぽっちゃりした人が細身の人を好きになる」
必ずしもそういうわけではないですが、人は自分に無いものを持った人を好きになる傾向にあるそうです。
人はそうやって遺伝的に平均化させようとする本能がある、ということです。
自分に無い能力を持った人の能力を100%得る事ができなくても、自分に合った形に噛み砕いて、自分なりの能力を習得することは可能です。
中学校の頃です。あれはパソコンの授業でした。
今でこそパソコンは1人1台、さらには1人2台という位に普及してきましたが、その頃はまだ普及途中で、家にパソコンが有る家というのは少なかった記憶があります。
当時同じクラスに、キーボードを見ないでタイピングする、いわゆる「ブラインドタッチ」ができる子が居ました。
その時、心底羨ましさを感じた覚えがあります。
手元を見ないでキーボードを打てたらかっこいいなぁ、いちいち手元を確認しながらできるなんて便利だなぁ、そう思っていました。
ブラインドタッチに憧れて、少ない手持ちのお金を持って、近くの中古家電屋で、安いワープロを買ってタイピングに明け暮れた時期がありました。
高校の情報処理の時間にもタイピング練習ソフトという便利なツールを使って、限られた時間を一生懸命練習しました。
結果、ブラインドタッチを習得し、大学に入ってタイピング技能検定2級を取得しました。
とても前置きが長くなってしまいましたが、つまり何が言いたいのかというと、
「今よりもっと良くしていこう」
という気風が今の泰阜村には乏しい、ということです。
現状よりもっと良くしていくためにはどうしたらいいか、という意見がない。
そもそもそういう考えが無い。現状維持。
かといって誰かが声を上げて事を始めようとすると、なんだかんだいって辞めさせようとする、
出る杭は打つ、打とうとする。
そのくせ代わりの意見というのももちろんない。
すべてにおいて保守的だと思います。
特に出る杭を打とうとする気風がすごく強い。村の人も役場の人もみんなそうです。
これからやろうとしている、北小学校の跡地利用について、グラウンドを畑にするんだ、と。
そこに若い就農希望者を集めて、一緒に勉強していって、泰阜村からそれぞれの地域で農業に従事してもらい、ネットワークを構築する。
また、いずれ株式会社化して、泰阜村の農業発展を支える中心となる。雇用創設の場にもなり、地域発展にも寄与する。
こういう考えがあって、やろうとしているのですが、最後まで聞く人はあまり居ません。
その前にまず、否定が入ります。
なんでグラウンドで農業をするんだ?何もグラウンドを畑にしなくても遊休耕地がいっぱいあるから、そこを使えばいいじゃないか、と。代替案で、村営住宅にしたほうがいい、という意見もありました。
この農藝塾の話は北小学校の跡地利用の話から出てきたものです。
この跡地利用について当初他に意見があったか、というとありませんでした。
公にはそういう事は言わないし、おそらく言えないんだと思います。
地域のしがらみがあるから、出る杭は打たれることを承知しているし、自分がそういうことを思っていても言えば打たれることを知っているからです。
しかし、村の人の中には、今のままじゃいかん、もっとよくしていかんと、と思っている人がいることも事実です。
ただ、そうした人が思うように意見を言える場が無い。これは問題です。
ある人が、
「村は今のままじゃいかん、と思っていてもこの年になって新たに事を始めることは無理」
「いろんなしがらみがあって、それに縛られる」
こう話してくれた人がいました。
まさにその通りなんだろうな、と。
では、どうしましょう。
若い人しかいないんです。それも村外からの。
「群れず属さず」
この言葉は、村長が非常に気に入っている言葉ですが、これは非常に難しい。
群れること、属すること、これは非常に楽だし、居心地もいいです。
学校でいうところの友達グループのようなものです。
しかし、その中には自己主張というものは抑圧されます。自分のいいたいことを主張するのは難しい。
周りの目を気にして、口を合わせる、みんな一緒、それらが何よりも優先されます。
群れず属さず、それが出来るのが村外の若者ということなのです。
若い人が意見を出しあって、ああでもない、こうでもない、と議論する、意見をぶつけ合う、これが必要なのです。
僕には今80歳になる村の人が強力なサポートをしてくれています。
この人の存在は自分にとって大きい。ものすごく。
人として素晴らしい。いつもその考え方に刺激をもらっています。
この年になってもまだ、村をどうにかせにゃいかん、こう考えています。
しかし、どうしていくか、という具体的な意見はなかなか出ないのです。
でも協力できることはしていく、そういってくれています。
僕はそれでいいと思っています。
年配の方ほど否定的、保守的な意見が多い。それは今までの人生において培われた処世術なのかもしれませんが、それでは変わらない。
ご年配の方ほど、これからの若い人の考え方、行動をよく見守って欲しいし、育てて欲しい。
泰阜村でも、草の根的に賛同者が増えてくれば、必ず良い方向に向かいます。
「自分だけが良くなるのではなく、みんなが良くなること」
綺麗事かもしれませんが、これが僕の願いです。
なぜなら自分はある程度先を考えてから行動するタイプなので、自分とは真逆のタイプの人を見ると、そのギャップに驚く反面、その行動力に羨ましさを感じるからです。
「背の低い人が高い人を好きになる」
「体系のぽっちゃりした人が細身の人を好きになる」
必ずしもそういうわけではないですが、人は自分に無いものを持った人を好きになる傾向にあるそうです。
人はそうやって遺伝的に平均化させようとする本能がある、ということです。
自分に無い能力を持った人の能力を100%得る事ができなくても、自分に合った形に噛み砕いて、自分なりの能力を習得することは可能です。
中学校の頃です。あれはパソコンの授業でした。
今でこそパソコンは1人1台、さらには1人2台という位に普及してきましたが、その頃はまだ普及途中で、家にパソコンが有る家というのは少なかった記憶があります。
当時同じクラスに、キーボードを見ないでタイピングする、いわゆる「ブラインドタッチ」ができる子が居ました。
その時、心底羨ましさを感じた覚えがあります。
手元を見ないでキーボードを打てたらかっこいいなぁ、いちいち手元を確認しながらできるなんて便利だなぁ、そう思っていました。
ブラインドタッチに憧れて、少ない手持ちのお金を持って、近くの中古家電屋で、安いワープロを買ってタイピングに明け暮れた時期がありました。
高校の情報処理の時間にもタイピング練習ソフトという便利なツールを使って、限られた時間を一生懸命練習しました。
結果、ブラインドタッチを習得し、大学に入ってタイピング技能検定2級を取得しました。
とても前置きが長くなってしまいましたが、つまり何が言いたいのかというと、
「今よりもっと良くしていこう」
という気風が今の泰阜村には乏しい、ということです。
現状よりもっと良くしていくためにはどうしたらいいか、という意見がない。
そもそもそういう考えが無い。現状維持。
かといって誰かが声を上げて事を始めようとすると、なんだかんだいって辞めさせようとする、
出る杭は打つ、打とうとする。
そのくせ代わりの意見というのももちろんない。
すべてにおいて保守的だと思います。
特に出る杭を打とうとする気風がすごく強い。村の人も役場の人もみんなそうです。
これからやろうとしている、北小学校の跡地利用について、グラウンドを畑にするんだ、と。
そこに若い就農希望者を集めて、一緒に勉強していって、泰阜村からそれぞれの地域で農業に従事してもらい、ネットワークを構築する。
また、いずれ株式会社化して、泰阜村の農業発展を支える中心となる。雇用創設の場にもなり、地域発展にも寄与する。
こういう考えがあって、やろうとしているのですが、最後まで聞く人はあまり居ません。
その前にまず、否定が入ります。
なんでグラウンドで農業をするんだ?何もグラウンドを畑にしなくても遊休耕地がいっぱいあるから、そこを使えばいいじゃないか、と。代替案で、村営住宅にしたほうがいい、という意見もありました。
この農藝塾の話は北小学校の跡地利用の話から出てきたものです。
この跡地利用について当初他に意見があったか、というとありませんでした。
公にはそういう事は言わないし、おそらく言えないんだと思います。
地域のしがらみがあるから、出る杭は打たれることを承知しているし、自分がそういうことを思っていても言えば打たれることを知っているからです。
しかし、村の人の中には、今のままじゃいかん、もっとよくしていかんと、と思っている人がいることも事実です。
ただ、そうした人が思うように意見を言える場が無い。これは問題です。
ある人が、
「村は今のままじゃいかん、と思っていてもこの年になって新たに事を始めることは無理」
「いろんなしがらみがあって、それに縛られる」
こう話してくれた人がいました。
まさにその通りなんだろうな、と。
では、どうしましょう。
若い人しかいないんです。それも村外からの。
「群れず属さず」
この言葉は、村長が非常に気に入っている言葉ですが、これは非常に難しい。
群れること、属すること、これは非常に楽だし、居心地もいいです。
学校でいうところの友達グループのようなものです。
しかし、その中には自己主張というものは抑圧されます。自分のいいたいことを主張するのは難しい。
周りの目を気にして、口を合わせる、みんな一緒、それらが何よりも優先されます。
群れず属さず、それが出来るのが村外の若者ということなのです。
若い人が意見を出しあって、ああでもない、こうでもない、と議論する、意見をぶつけ合う、これが必要なのです。
僕には今80歳になる村の人が強力なサポートをしてくれています。
この人の存在は自分にとって大きい。ものすごく。
人として素晴らしい。いつもその考え方に刺激をもらっています。
この年になってもまだ、村をどうにかせにゃいかん、こう考えています。
しかし、どうしていくか、という具体的な意見はなかなか出ないのです。
でも協力できることはしていく、そういってくれています。
僕はそれでいいと思っています。
年配の方ほど否定的、保守的な意見が多い。それは今までの人生において培われた処世術なのかもしれませんが、それでは変わらない。
ご年配の方ほど、これからの若い人の考え方、行動をよく見守って欲しいし、育てて欲しい。
泰阜村でも、草の根的に賛同者が増えてくれば、必ず良い方向に向かいます。
「自分だけが良くなるのではなく、みんなが良くなること」
綺麗事かもしれませんが、これが僕の願いです。
クリスマスの今日、100%泰阜村でできたそば粉を梨久保集落で希望した人に配って回った。
当初、梨久保、漆平野の2つの限界集落と呼ばれる集落でそばを栽培し、収穫から脱穀、選別までを各集落の人と共に作業してもらい、製粉する一部を臼で挽ければな、そしてそこの人と一緒にそばを食べれたらいいなぁという構想を描いていました。
しかし、取り組み始めてみると、そばを栽培する場所を確保できなかったり、一緒に作業できるほどのずくがなかったり、さらにはそば自体がそんなに好きではない、というようないろいろな事情が出てきたので、当初の構成を修正せざるを得なくなったのです。
でもまぁこれはしょうがないことかなぁと。あくまで構想は構想であって、理想と現実があるわけで。
理想と現実のすり合わせは否が応でもやっていくことが普通なんだろうなって思いました。
そばを栽培予定の畑が使えない、でも実際は使えないのではなく、そこで作り始めて無事にそばを収穫することができるのだろうか、もしそばを収穫できなかったらかわいそうだ、そういう気兼ねの気持ちが根底にはあるのです。そういう気持ちは率先して察するべきですよね。
また、ずくが無い人に無理に作業してもらうワケにもいかないし、そばを好きじゃない人に良かれと思って無理にそばを食べさせようとしてもなんの意味も無い。誰が喜ぶのか。
目的は少しでも集落を元気づけたい、そういう思いで取り組んできましたが、以上のようなことが起こることは目的には決して沿うものではないし、そうさせないためには必要に応じて内容を調節して良く必要があったのです。
その時々の諸事情に応じて適宜調節をしていった結果、
1.梨久保、漆平野でのそば栽培→峠田、漆平野での栽培に変更
2.収穫~選別までを集落の人々と共同作業→脱穀、選別を集落の人、村の人と共同作業
3.一部を臼で製粉する→全量製粉委託
4.集落の人と一緒にそばを食べる→そば粉の配布、そばがきやそば団子として一緒に食べる
と、変更しました。
そして、今日梨久保集落では、みんな集まってそばを食べるずくが無いという意見や、そば自体がそんなに好きじゃないという意見から、希望する家にそば粉という形でそばを配布することにしました。
梨久保では5戸へそばを適量配布しました。
理想通りにはならなかったけれど、
「こんなに尊いそば粉をわざわざありがとうね」
といった言葉をかけてもらっただけで、やった甲斐があったなぁと思っています。
年明けに感想を聞ければ、と思います。
当初、梨久保、漆平野の2つの限界集落と呼ばれる集落でそばを栽培し、収穫から脱穀、選別までを各集落の人と共に作業してもらい、製粉する一部を臼で挽ければな、そしてそこの人と一緒にそばを食べれたらいいなぁという構想を描いていました。
しかし、取り組み始めてみると、そばを栽培する場所を確保できなかったり、一緒に作業できるほどのずくがなかったり、さらにはそば自体がそんなに好きではない、というようないろいろな事情が出てきたので、当初の構成を修正せざるを得なくなったのです。
でもまぁこれはしょうがないことかなぁと。あくまで構想は構想であって、理想と現実があるわけで。
理想と現実のすり合わせは否が応でもやっていくことが普通なんだろうなって思いました。
そばを栽培予定の畑が使えない、でも実際は使えないのではなく、そこで作り始めて無事にそばを収穫することができるのだろうか、もしそばを収穫できなかったらかわいそうだ、そういう気兼ねの気持ちが根底にはあるのです。そういう気持ちは率先して察するべきですよね。
また、ずくが無い人に無理に作業してもらうワケにもいかないし、そばを好きじゃない人に良かれと思って無理にそばを食べさせようとしてもなんの意味も無い。誰が喜ぶのか。
目的は少しでも集落を元気づけたい、そういう思いで取り組んできましたが、以上のようなことが起こることは目的には決して沿うものではないし、そうさせないためには必要に応じて内容を調節して良く必要があったのです。
その時々の諸事情に応じて適宜調節をしていった結果、
1.梨久保、漆平野でのそば栽培→峠田、漆平野での栽培に変更
2.収穫~選別までを集落の人々と共同作業→脱穀、選別を集落の人、村の人と共同作業
3.一部を臼で製粉する→全量製粉委託
4.集落の人と一緒にそばを食べる→そば粉の配布、そばがきやそば団子として一緒に食べる
と、変更しました。
そして、今日梨久保集落では、みんな集まってそばを食べるずくが無いという意見や、そば自体がそんなに好きじゃないという意見から、希望する家にそば粉という形でそばを配布することにしました。
梨久保では5戸へそばを適量配布しました。
理想通りにはならなかったけれど、
「こんなに尊いそば粉をわざわざありがとうね」
といった言葉をかけてもらっただけで、やった甲斐があったなぁと思っています。
年明けに感想を聞ければ、と思います。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
リンク
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[05/14 backlink service]
[11/11 takerururu]
[10/25 おしに]
[10/23 おしに]
[10/17 takerururu]
最新記事
(04/22)
(02/24)
(02/20)
(02/20)
(02/20)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
kazu
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1986/05/08
職業:
地域おこし協力隊(役場嘱託職員)
自己紹介:
新たに地域おこし協力隊を2名加えて、総勢3名で取り組んでいるほうれん草栽培をメインとした村おこし。
今年はなんとしても夏ほうれん草を成功させて、成功モデルケースの土台を固めたいところです。そのためにも、みんなで力を合わせて良い状況に持って行きたいです!
今年はなんとしても夏ほうれん草を成功させて、成功モデルケースの土台を固めたいところです。そのためにも、みんなで力を合わせて良い状況に持って行きたいです!
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
現在の閲覧人数
フリーエリア