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恒例の官庁御用始めの式。
村長挨拶の中で、「民主主義とは」という話があった。

民主主義とは、いわゆる多数決による多数派主義のこと。その結果として多数決を取らなければ物事が決められなくなってしまった。
例えば消費税増税の問題。誰しも今の日本の財政状況ではいずれ立ち行かなくなることは明白なのにも関わらず、税金が上がり、負担が増えるのが嫌だから増税に反対する。

増税反対派が多数派になるとどうだろうか。「税率を上げなければならない」という共通認識があるのにも関わらず、「負担が増えるのは嫌だ」という理由で結果的に増税できなくなる。これが「民主主義」なのだろうか?

専門家と呼ばれる人たちに意思決定権を投げ渡し、右を向けといえば右を、左を向けといえば左を向くようにしかできない、自ら考えることをしなくなった国民はまさに国に飼われた家畜である、というある方の話と今回の村長の話とが重なって、妙に自分の中で納得したというか、腑に落ちた感覚に包まれた。

日本は古来から稲作中心の小規模集約農業が営まれてきた。「自立」と「共生」が成り立っていたために、小規模集落が無数にあったがそれぞれが個々に存在することができた。しかし、明治維新後にアメリカ主導で推し進められてきた民主主義と西洋式により、農業でいえば大規模化と機械化が進み、化学肥料や農薬の台頭も合わさって、大量生産大量消費を前提として効率ばかりが追い求められ続けた。

結果、文化が衰退するとともに自立や共生の精神も衰退していき、農業も衰退してしまった。

自分さえよければ、という考え方。
金さえあればなんとかなる、という考え方。そんな考え方が余りにも充満しすぎてやしないだろうか。
それは結局自分のためになることはない。

今回の震災で「絆」という言葉が盛んに叫ばれたが、絆は本来元々至るところで当たり前のようにあったいわば文化の象徴のようなものだったはずだ。
それが時代の流れ、西洋化の流れの中でいつしか忘れ去られてしまった。

人は人に、自然に生かされて生きている。自立と共生。この二つこそが今の地球に必要なことなんだと思う。

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今年も残すところわずかとなりました。
昨年の年末年始は1年ぶりに実家で過ごした年でしたが、今年は泰阜村で年越しをします。
1年前のブログを振り返ってみると、1月3日にブログで今年の目標を3つ掲げていました。

1.「やるべきことをやる」
当たり前のようで実は難しい。それがこの「やるべきことをやる」ということなのではないでしょうか。
今年は昨年の結果を踏まえて、もう一歩踏み込んだ具体的な目標(例えばほうれん草で100万円
の売上をあげる、といったもの)を設定しました。その目標をクリアするためにまずはこの目標をを
掲げました。
→目標の100万円は達成する見通しです。ただ、やるべきことをその都度やれていたか、という
とそうでなかったなぁと反省しています。。。


2.「考えて行動する」
1と少し似ていますが、行動する前にまずその行動をする意味があるのか、他によりよい方法がない
かを考慮して行動に移すようにしたいです。
行動してから考えることを良し、とする考えもありますが、僕には合いませんでした。
ただ、考えすぎて行動できないことが一番の愚であることは言うまでもありませんが。
→考えて行動できたと思います。今日、
知覚動考(ともかくうごこう)という言葉を初めて知りました。「知って、覚えて、動いて、考える」考えて行動すると、マイナス思考が働きやすい。まずは行動してみて結果を見て考察する。来年はこの思考もおりまぜながら、良い結果
を出せるように頑張りたいと思います。

3.「刺激(好奇心)を求め続ける」
村の中に長くいるとどうしても頭が凝り固まっていくのがわかるので、なるべくマンネリ化しないように
いろんな人の話を聞いたり、村外に足を運んだりして、常に何かしらの刺激や好奇心を求めて考え方
を柔軟に保ちたいと思います。
昨年はほとんど本を読まなかったので、今年は昨年読もうと思って買って読んでいない本たちを処理
していきたいです。
→本は今年もほとんど読みませんでした。。。興味ある本を買ったり借りたりして積んだままの、いわゆる「積ん読(つんどく)」状態です。最近つねづね思うのは、当たり前かもしれませんが、いろんな経験や知識を持っているとそれだけで豊かになれるなぁってことです。考え方はやや凝り固まってきている気がしています。考えるための知識や経験をもっと積みたいなぁ。


今年は協力隊も増え、またやることも増え、いろんな人との出会いもあり、良いことも悪いこともたくさんありました。年も1つ重ねました。本当に公私ともに濃い濃い1年でした。それだけに、振り返ると本当一瞬の出来事のように感じるのだと思います。

来年はどんな年になるのでしょうか。でもどんな年にするかは自分次第ですが。

今年最後のブログです。
拙い文章で恥ずかしいですが、それでもこまめにチェックしてくれている皆さん、また泰阜村の取り組みに興味を持って見守っていただいている皆さん、お世話になりました。

皆様の来年が今年より良い年でありますように。
来年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします。


2011年 12月31日 
地域おこし協力隊 川上和浩

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こ最近、いろいろ考える時間が出来るようになって、この先の進路についてもどうしようか
ということをよく考えるようになりました。やっと考える時間が作れるようになった、といっても
いいかもしれません。

縁あって泰阜村に来て、これまた縁があって農業振興、農業の産業化、という一筋縄
ではいかないような、大きなプロジェクトに関わらせてもらって、普通に東京で就職していたら
恐らく出来なかっただろう、いろんなことに取り組ませてもらっていることにすごく感謝しています。

同時に、全てが未経験、自分の背丈以上のことだらけ。果たして期待される結果を出すことが
出来るのだろうか、不安な日々を過ごしていたのが、昨年の今頃だったと思います。
今年は協力隊も人数が増え、飛躍の年と意気込んで活動に取り組んできました。

1年目に泰阜村に少しは顔を知ってもらい、協力隊の活動を知ってもらい、2年目、3年目と
新しい協力隊を交えながら、年月が経つにつれて、泰阜村も、村民も、そして僕自身も「慣れ」
てきて、活動がグッとしやすくなったことは、日々感じているところです。

しかし、ここ1ヶ月くらいで強く感じるようになったのは、村を引っ張る側、支える側の意識の
ズレが想像以上に大きいことです。

農業振興、農業の産業化から村の活性化につなげたい、という思い。と、
別に農業で活性化しなくてもいい、現状維持でいければ、という思い。

以前このブログでも書いたことがある、

「泰阜村の人は本当に村の発展を願っているのか、現状維持でもいいのではないか。」

という思いが想像以上に大きいことがわかってきました。
求められているものは、過去でも「未来」でもなく、「今」なのだと。
そういう思いが大きくても、自分たちの頑張りがそういった意識を変えられる、と思って活動に
取り組んでいた時期もありますが、ジビエの食肉加工の話が白紙になったことが、僕にとって
心理的に大きな転機だったことは事実です。

結局まだ昔のトラウマから抜け出せていないのではないか、村も村民も。
また同じことが起きるのではないか、同じことが起きるくらいなら最初からやらないほうがいい、
それが本音かもしれません。
だから、今取り組んでいる農業振興プロジェクトも、道半ばで頓挫するかもしれない。
足を引っ張る人がでてくるかもしれない。今までの取り組みが全て徒労に終わるのではないか。
ジビエの一件と、今の活動を重ねあわせて、そう考えてしまうんです。

うぅん、わからない。わかりません。
ただ、決断しなくてはいけない時期が迫っているのは確か。
いろんな人の意見も聞きながら、決めます。

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何気なく普段どおりの作業をしていると、目の前の変化に気づきにくいもの。
今日は1人作業でもくもくと目の前の作業に打ち込んでいたので、その何気ない変化に気づき
やすかったのか、いろいろと目に入ってきたので紹介します。

ほうれん草の収穫中にてんとう虫がほうれん草の葉の上でひと休みしていました。
5633e24c.jpeg
心配していた稲も、少しずつですが大きくなってきた気がします。
稲の横でとんぼ?が水の中で騒がしくしていました。
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田んぼに引いている泰阜村の湧き水。冷たくて思わず飲みたくなる透き通りようです。
13ed4bef.jpeg
特別なものではないです。至って普通の光景かもしれません。でもそれらに気づくことって実は
すごく大切な事だと思います。
当たり前かもしれないけれど、その当たり前の微妙な変化を感じるってすごくワクワクします。
常にこういう変化を目で、手で、肌で感じられるくらいの気持ちの余裕を持っていたいです。

全然別の話ですが、今日鍬を買いました。刃だけあった鍬に知り合いの農家さんが柄の部分を
つけてくれたもの。使いやすくて、これで1500円。ホームセンターで買うよりはるかに安く農家さんの
鍬という感じがして、すごくテンション上がりました。ありがとうございました!
91288ae8.jpeg


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今日は休みの日でしたが、午前午後と来客のため、役場やほ場へ居ました。

午後仕事が終わって、飯田へ買い物に。
ついこないだオープンした、バローというスーパーへ寄ってみました。
入り口に入ってまず目にしたのは、「新たまねぎ1コ28円」「じゃがいも1コ58円」というお買い得野菜。
さらには、「小松菜1袋58円、2袋98円」という謳い文句が録音テープから流れていました。

同じ葉物を作っている身としては、1袋58円の売値がいかに安いかはよく分かるし、悲しい気持ちに
なりました。消費者だけが良い思いをして、生産者がなぜ損をしなければならないのか、と。

ただ、この考え方は一方に偏重していて、公明正大ではないなと思いました。
1コ28円の玉ねぎや1袋58円の小松菜がなぜその値段で売られているのか、ということを考える
必要があります。

1つは、生産過剰で市場も飽和状態、買い手がおらず原価割れでも捨てるよりはまし、という
ものを大量にスーパーが買い入れ、安値で販売する。
これが一番考えられる理由です。消費者が飛びつく手っ取り早い方法は値下げです。

もう1つは、需要がないにもかかわらず作ってみて、売るに売れず困って売りさばいた結果、という
こと。「なんとかなる」と見切り発車してしまうと、こういうことになる可能性はありますが、今回の
場合は、じゃがいも、たまねぎ、小松菜といずれもポピュラーな野菜ばかり。可能性は低そうです。

ようは、安く売られていることが悪ではないんです。安売りは消費刺激の基本要素だと思います。

作る側は作ると同時に、売る努力をしていかなければいけない。自分の作ったものが他のものと
比べてどう違うのか、アピールしていかなければいけない、と思います。
その努力をせずに、ただできたものを出荷してはいおしまい、ではこれからはだめです。

では逆に高く売ることは良いのでしょうか。それも違うでしょう。

うーん、モノの価値ってなんなんでしょうかね。
同じ値段でも、高いと思う人もいれば、むしろ安いと思う人もいる。その逆も然り。

最終的には安売りされるのは、生産者側にも非がある、という結論に至った?訳ですが。
そもそもスーパーの青果の位置づけは客寄せなので、多少原価割れしても構わないんですよね。
だから泰阜村のような小規模生産には合わないんですが。

いろいろ考えさせられる買い物でした。




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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
30
性別:
男性
誕生日:
1986/05/08
職業:
地域おこし協力隊(役場嘱託職員)
自己紹介:
新たに地域おこし協力隊を2名加えて、総勢3名で取り組んでいるほうれん草栽培をメインとした村おこし。

今年はなんとしても夏ほうれん草を成功させて、成功モデルケースの土台を固めたいところです。そのためにも、みんなで力を合わせて良い状況に持って行きたいです!
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