何もないところがいいところ。
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自然の力に頼り、農薬や肥料を加えずに作物を育てる、いわゆる「自然農法」がある。
僕が高校生の頃、何をきっかけにしてかは覚えていないが、この自然農法という考え方に衝撃を受けた記憶がある。
無肥料栽培
http://www.h3.dion.ne.jp/~muhi/
このHPが自然農法を知る最初の一歩だった。
それからは既存の農法に大して疑問をもつようになったし、より農業に興味を持つきっかけとなった。
しかし、高校で学んできたこととは全く逆。
肥料も農薬も与えないで作物を育てる。
そんなことが可能なのか?
「肥料は毒であり、人間の欲である」
「いわゆる”肥毒”が、作物に病気や虫食いとなって現れる」
「そして病気や虫を防ぐために農薬を散布する」
なるほど、肥料が毒とすると、それによってすべてがおかしくなると。
肥料を施す→それによって虫食いや病気が発生する→それらを防ぐために農薬を使う
基本は肥料を施さないことにあるようだ。
実際に自然農法で農業を営んでいる人は日本に多く居る。
しかし、自然の力にのみ頼る自然農法の最大の問題点は、収量だ。
慣行農法に比べれば、環境への負荷という面ではメリットがある。
しかし、慣行農法より収量が取れないようでは、真に農法と呼べるものではない。
慣行農法並~それ以上の収量を上げてこそ、農法である。
そんなことに気づかせてくれたのが、今までに何度か紹介してきた「炭素循環農法」だ。
この存在を知ったのは大学3年の頃だったと思う。
自然農法を卒論のテーマにとりあげるつもりで、いろいろと調べていたところ、この農法の存在を知った。
炭素循環農法
http://page.freett.com/tenuki/etc/home.html
この農法のすごいところは、自然農法の弱点である収量の問題をクリアしつつ、かつ理論的、科学的にその合理性を見事に説明しているし、実際にブラジルにてその農法を実践して成果を上げていることだ。
自然農法に似て非なる農法、それが炭素循環農法。
興味はあるが、生まれてこの方活字が嫌いな性分で、なかなか読む気が起きなくて、まだまだ理解不足な点ばかりだが、この農法を泰阜村農藝塾準備期間中から研究をかねて一部取り入れてみたいと考えているところだ。
もしこれが泰阜村で確立できれば、すごいことになるかもしれない。
生産者や環境への負担が少ないのに、高品質な作物が採れる。
加えて、農業の知識や技術は一切必要ない。
農業に興味があっても敷居が高い、なんていう若者にはとてもとっつきやすい。
きっとお年寄りなら、こんなにいいものがあるわけない、と鼻から否定するだろうが。
努力や頑張り=良い結果として現れるとは限らない、ということを知るべきだ。
(だからといって努力や頑張りを否定しているわけではないが)
先に述べた、肥料は毒である(=肥毒)という考え方と同じで、実は農業についても、時代の流れと共に人間が勝手に細分化複雑化させすぎたのかもしれない。
これは、農業に限らずいろんなことに言える。
例えば大学の科目。
自分が居た農大の国際農業開発学科は、国際食料情報学部、という学部の中にあった。
他にも食料環境経済学科やバイオビジネス学科といった科がある。
就活の時、履歴書に学部から書く度、枠いっぱいになっていたのは記憶に新しい。
食料だの環境だの横文字だの学生が興味をそそるような単語を並べているだけな気がしてならない。
結局のところ、すべては農業という大枠の中にあるものの1つに過ぎない。
細かくすればするほど、深化する分本質を見失う可能性が高い。
専門科目が増える=大学側の収入を増やすため、という式は大学の教授が言っていた。所詮そんなものだろう。
今手元に、学研から出ている「野菜だより 新春号」がある。
炭素循環農法の紹介が書かれていることを知って、早速購入したものだ。
この中に、
「農」という字は「畑の植えに草を敷く」を意味する象形文字らしい、という。
また、栽培の「培」は、伝承的に「空気を入れる」という意味だった、とも。
(p.45より引用)
という文章があった。炭素循環農法はまさにそれを実践している。
別ページには、なるほどなという一文が。
虫がつく野菜は、腐敗している。食(人に良いと書く)べ物ではない。
(p.47より引用、一部誇張)
これからは、人に良いものを作っていく。これは当たり前に息をするのと同じくらい必然なものとなっていく。
それが「食べ物」である。それ以外は「食べ物」ではない。
不要なものは淘汰され、必要なものを残していく。これはごくごく自然の法則である。
泰阜村の農業はそれを目指す。
食べ物を作る。商品を作るのではなく、人に良いものを作る。
それが農業の基本だと思う。それができない農業は、もはや農業ではない。
ある人が、
「有難う、という言葉は「難」が「有」ってこそ出てくる言葉なんだ」と言っていた。
言葉って面白い。
村の中にこのブログを読んでくれている人がいると思うと、なんか気合入れて書いてしまうのでした。
まとまり悪くてすいません。いつものこと、とか言わないで。
僕が高校生の頃、何をきっかけにしてかは覚えていないが、この自然農法という考え方に衝撃を受けた記憶がある。
無肥料栽培
http://www.h3.dion.ne.jp/~muhi/
このHPが自然農法を知る最初の一歩だった。
それからは既存の農法に大して疑問をもつようになったし、より農業に興味を持つきっかけとなった。
しかし、高校で学んできたこととは全く逆。
肥料も農薬も与えないで作物を育てる。
そんなことが可能なのか?
「肥料は毒であり、人間の欲である」
「いわゆる”肥毒”が、作物に病気や虫食いとなって現れる」
「そして病気や虫を防ぐために農薬を散布する」
なるほど、肥料が毒とすると、それによってすべてがおかしくなると。
肥料を施す→それによって虫食いや病気が発生する→それらを防ぐために農薬を使う
基本は肥料を施さないことにあるようだ。
実際に自然農法で農業を営んでいる人は日本に多く居る。
しかし、自然の力にのみ頼る自然農法の最大の問題点は、収量だ。
慣行農法に比べれば、環境への負荷という面ではメリットがある。
しかし、慣行農法より収量が取れないようでは、真に農法と呼べるものではない。
慣行農法並~それ以上の収量を上げてこそ、農法である。
そんなことに気づかせてくれたのが、今までに何度か紹介してきた「炭素循環農法」だ。
この存在を知ったのは大学3年の頃だったと思う。
自然農法を卒論のテーマにとりあげるつもりで、いろいろと調べていたところ、この農法の存在を知った。
炭素循環農法
http://page.freett.com/tenuki/etc/home.html
この農法のすごいところは、自然農法の弱点である収量の問題をクリアしつつ、かつ理論的、科学的にその合理性を見事に説明しているし、実際にブラジルにてその農法を実践して成果を上げていることだ。
自然農法に似て非なる農法、それが炭素循環農法。
興味はあるが、生まれてこの方活字が嫌いな性分で、なかなか読む気が起きなくて、まだまだ理解不足な点ばかりだが、この農法を泰阜村農藝塾準備期間中から研究をかねて一部取り入れてみたいと考えているところだ。
もしこれが泰阜村で確立できれば、すごいことになるかもしれない。
生産者や環境への負担が少ないのに、高品質な作物が採れる。
加えて、農業の知識や技術は一切必要ない。
農業に興味があっても敷居が高い、なんていう若者にはとてもとっつきやすい。
きっとお年寄りなら、こんなにいいものがあるわけない、と鼻から否定するだろうが。
努力や頑張り=良い結果として現れるとは限らない、ということを知るべきだ。
(だからといって努力や頑張りを否定しているわけではないが)
先に述べた、肥料は毒である(=肥毒)という考え方と同じで、実は農業についても、時代の流れと共に人間が勝手に細分化複雑化させすぎたのかもしれない。
これは、農業に限らずいろんなことに言える。
例えば大学の科目。
自分が居た農大の国際農業開発学科は、国際食料情報学部、という学部の中にあった。
他にも食料環境経済学科やバイオビジネス学科といった科がある。
就活の時、履歴書に学部から書く度、枠いっぱいになっていたのは記憶に新しい。
食料だの環境だの横文字だの学生が興味をそそるような単語を並べているだけな気がしてならない。
結局のところ、すべては農業という大枠の中にあるものの1つに過ぎない。
細かくすればするほど、深化する分本質を見失う可能性が高い。
専門科目が増える=大学側の収入を増やすため、という式は大学の教授が言っていた。所詮そんなものだろう。
今手元に、学研から出ている「野菜だより 新春号」がある。
炭素循環農法の紹介が書かれていることを知って、早速購入したものだ。
この中に、
「農」という字は「畑の植えに草を敷く」を意味する象形文字らしい、という。
また、栽培の「培」は、伝承的に「空気を入れる」という意味だった、とも。
(p.45より引用)
という文章があった。炭素循環農法はまさにそれを実践している。
別ページには、なるほどなという一文が。
虫がつく野菜は、腐敗している。食(人に良いと書く)べ物ではない。
(p.47より引用、一部誇張)
これからは、人に良いものを作っていく。これは当たり前に息をするのと同じくらい必然なものとなっていく。
それが「食べ物」である。それ以外は「食べ物」ではない。
不要なものは淘汰され、必要なものを残していく。これはごくごく自然の法則である。
泰阜村の農業はそれを目指す。
食べ物を作る。商品を作るのではなく、人に良いものを作る。
それが農業の基本だと思う。それができない農業は、もはや農業ではない。
ある人が、
「有難う、という言葉は「難」が「有」ってこそ出てくる言葉なんだ」と言っていた。
言葉って面白い。
村の中にこのブログを読んでくれている人がいると思うと、なんか気合入れて書いてしまうのでした。
まとまり悪くてすいません。いつものこと、とか言わないで。
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Re:炭素循環農法?
コメントありがとうございます。
炭素循環農法は僕も数年前までは知りませんでした。
HPにはつらつらといろんなことを書いてありますが、実際はそんなに
難しいものではありません。至って簡単で、誰でも実践出来る、そんな農法です。
地域おこしとして専門的に農芸塾準備に取り掛かれるようになれば、そういうったことにもチャレンジしていきたいと思っています。
日ごろいろいろとお世話になっているので、それで十分ですよ!
炭素循環農法は僕も数年前までは知りませんでした。
HPにはつらつらといろんなことを書いてありますが、実際はそんなに
難しいものではありません。至って簡単で、誰でも実践出来る、そんな農法です。
地域おこしとして専門的に農芸塾準備に取り掛かれるようになれば、そういうったことにもチャレンジしていきたいと思っています。
日ごろいろいろとお世話になっているので、それで十分ですよ!
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1986/05/08
職業:
地域おこし協力隊(役場嘱託職員)
自己紹介:
新たに地域おこし協力隊を2名加えて、総勢3名で取り組んでいるほうれん草栽培をメインとした村おこし。
今年はなんとしても夏ほうれん草を成功させて、成功モデルケースの土台を固めたいところです。そのためにも、みんなで力を合わせて良い状況に持って行きたいです!
今年はなんとしても夏ほうれん草を成功させて、成功モデルケースの土台を固めたいところです。そのためにも、みんなで力を合わせて良い状況に持って行きたいです!
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