何もないところがいいところ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
思いつきですぐ行動出来る人を見ると、すごいなぁと思います。
なぜなら自分はある程度先を考えてから行動するタイプなので、自分とは真逆のタイプの人を見ると、そのギャップに驚く反面、その行動力に羨ましさを感じるからです。
「背の低い人が高い人を好きになる」
「体系のぽっちゃりした人が細身の人を好きになる」
必ずしもそういうわけではないですが、人は自分に無いものを持った人を好きになる傾向にあるそうです。
人はそうやって遺伝的に平均化させようとする本能がある、ということです。
自分に無い能力を持った人の能力を100%得る事ができなくても、自分に合った形に噛み砕いて、自分なりの能力を習得することは可能です。
中学校の頃です。あれはパソコンの授業でした。
今でこそパソコンは1人1台、さらには1人2台という位に普及してきましたが、その頃はまだ普及途中で、家にパソコンが有る家というのは少なかった記憶があります。
当時同じクラスに、キーボードを見ないでタイピングする、いわゆる「ブラインドタッチ」ができる子が居ました。
その時、心底羨ましさを感じた覚えがあります。
手元を見ないでキーボードを打てたらかっこいいなぁ、いちいち手元を確認しながらできるなんて便利だなぁ、そう思っていました。
ブラインドタッチに憧れて、少ない手持ちのお金を持って、近くの中古家電屋で、安いワープロを買ってタイピングに明け暮れた時期がありました。
高校の情報処理の時間にもタイピング練習ソフトという便利なツールを使って、限られた時間を一生懸命練習しました。
結果、ブラインドタッチを習得し、大学に入ってタイピング技能検定2級を取得しました。
とても前置きが長くなってしまいましたが、つまり何が言いたいのかというと、
「今よりもっと良くしていこう」
という気風が今の泰阜村には乏しい、ということです。
現状よりもっと良くしていくためにはどうしたらいいか、という意見がない。
そもそもそういう考えが無い。現状維持。
かといって誰かが声を上げて事を始めようとすると、なんだかんだいって辞めさせようとする、
出る杭は打つ、打とうとする。
そのくせ代わりの意見というのももちろんない。
すべてにおいて保守的だと思います。
特に出る杭を打とうとする気風がすごく強い。村の人も役場の人もみんなそうです。
これからやろうとしている、北小学校の跡地利用について、グラウンドを畑にするんだ、と。
そこに若い就農希望者を集めて、一緒に勉強していって、泰阜村からそれぞれの地域で農業に従事してもらい、ネットワークを構築する。
また、いずれ株式会社化して、泰阜村の農業発展を支える中心となる。雇用創設の場にもなり、地域発展にも寄与する。
こういう考えがあって、やろうとしているのですが、最後まで聞く人はあまり居ません。
その前にまず、否定が入ります。
なんでグラウンドで農業をするんだ?何もグラウンドを畑にしなくても遊休耕地がいっぱいあるから、そこを使えばいいじゃないか、と。代替案で、村営住宅にしたほうがいい、という意見もありました。
この農藝塾の話は北小学校の跡地利用の話から出てきたものです。
この跡地利用について当初他に意見があったか、というとありませんでした。
公にはそういう事は言わないし、おそらく言えないんだと思います。
地域のしがらみがあるから、出る杭は打たれることを承知しているし、自分がそういうことを思っていても言えば打たれることを知っているからです。
しかし、村の人の中には、今のままじゃいかん、もっとよくしていかんと、と思っている人がいることも事実です。
ただ、そうした人が思うように意見を言える場が無い。これは問題です。
ある人が、
「村は今のままじゃいかん、と思っていてもこの年になって新たに事を始めることは無理」
「いろんなしがらみがあって、それに縛られる」
こう話してくれた人がいました。
まさにその通りなんだろうな、と。
では、どうしましょう。
若い人しかいないんです。それも村外からの。
「群れず属さず」
この言葉は、村長が非常に気に入っている言葉ですが、これは非常に難しい。
群れること、属すること、これは非常に楽だし、居心地もいいです。
学校でいうところの友達グループのようなものです。
しかし、その中には自己主張というものは抑圧されます。自分のいいたいことを主張するのは難しい。
周りの目を気にして、口を合わせる、みんな一緒、それらが何よりも優先されます。
群れず属さず、それが出来るのが村外の若者ということなのです。
若い人が意見を出しあって、ああでもない、こうでもない、と議論する、意見をぶつけ合う、これが必要なのです。
僕には今80歳になる村の人が強力なサポートをしてくれています。
この人の存在は自分にとって大きい。ものすごく。
人として素晴らしい。いつもその考え方に刺激をもらっています。
この年になってもまだ、村をどうにかせにゃいかん、こう考えています。
しかし、どうしていくか、という具体的な意見はなかなか出ないのです。
でも協力できることはしていく、そういってくれています。
僕はそれでいいと思っています。
年配の方ほど否定的、保守的な意見が多い。それは今までの人生において培われた処世術なのかもしれませんが、それでは変わらない。
ご年配の方ほど、これからの若い人の考え方、行動をよく見守って欲しいし、育てて欲しい。
泰阜村でも、草の根的に賛同者が増えてくれば、必ず良い方向に向かいます。
「自分だけが良くなるのではなく、みんなが良くなること」
綺麗事かもしれませんが、これが僕の願いです。
なぜなら自分はある程度先を考えてから行動するタイプなので、自分とは真逆のタイプの人を見ると、そのギャップに驚く反面、その行動力に羨ましさを感じるからです。
「背の低い人が高い人を好きになる」
「体系のぽっちゃりした人が細身の人を好きになる」
必ずしもそういうわけではないですが、人は自分に無いものを持った人を好きになる傾向にあるそうです。
人はそうやって遺伝的に平均化させようとする本能がある、ということです。
自分に無い能力を持った人の能力を100%得る事ができなくても、自分に合った形に噛み砕いて、自分なりの能力を習得することは可能です。
中学校の頃です。あれはパソコンの授業でした。
今でこそパソコンは1人1台、さらには1人2台という位に普及してきましたが、その頃はまだ普及途中で、家にパソコンが有る家というのは少なかった記憶があります。
当時同じクラスに、キーボードを見ないでタイピングする、いわゆる「ブラインドタッチ」ができる子が居ました。
その時、心底羨ましさを感じた覚えがあります。
手元を見ないでキーボードを打てたらかっこいいなぁ、いちいち手元を確認しながらできるなんて便利だなぁ、そう思っていました。
ブラインドタッチに憧れて、少ない手持ちのお金を持って、近くの中古家電屋で、安いワープロを買ってタイピングに明け暮れた時期がありました。
高校の情報処理の時間にもタイピング練習ソフトという便利なツールを使って、限られた時間を一生懸命練習しました。
結果、ブラインドタッチを習得し、大学に入ってタイピング技能検定2級を取得しました。
とても前置きが長くなってしまいましたが、つまり何が言いたいのかというと、
「今よりもっと良くしていこう」
という気風が今の泰阜村には乏しい、ということです。
現状よりもっと良くしていくためにはどうしたらいいか、という意見がない。
そもそもそういう考えが無い。現状維持。
かといって誰かが声を上げて事を始めようとすると、なんだかんだいって辞めさせようとする、
出る杭は打つ、打とうとする。
そのくせ代わりの意見というのももちろんない。
すべてにおいて保守的だと思います。
特に出る杭を打とうとする気風がすごく強い。村の人も役場の人もみんなそうです。
これからやろうとしている、北小学校の跡地利用について、グラウンドを畑にするんだ、と。
そこに若い就農希望者を集めて、一緒に勉強していって、泰阜村からそれぞれの地域で農業に従事してもらい、ネットワークを構築する。
また、いずれ株式会社化して、泰阜村の農業発展を支える中心となる。雇用創設の場にもなり、地域発展にも寄与する。
こういう考えがあって、やろうとしているのですが、最後まで聞く人はあまり居ません。
その前にまず、否定が入ります。
なんでグラウンドで農業をするんだ?何もグラウンドを畑にしなくても遊休耕地がいっぱいあるから、そこを使えばいいじゃないか、と。代替案で、村営住宅にしたほうがいい、という意見もありました。
この農藝塾の話は北小学校の跡地利用の話から出てきたものです。
この跡地利用について当初他に意見があったか、というとありませんでした。
公にはそういう事は言わないし、おそらく言えないんだと思います。
地域のしがらみがあるから、出る杭は打たれることを承知しているし、自分がそういうことを思っていても言えば打たれることを知っているからです。
しかし、村の人の中には、今のままじゃいかん、もっとよくしていかんと、と思っている人がいることも事実です。
ただ、そうした人が思うように意見を言える場が無い。これは問題です。
ある人が、
「村は今のままじゃいかん、と思っていてもこの年になって新たに事を始めることは無理」
「いろんなしがらみがあって、それに縛られる」
こう話してくれた人がいました。
まさにその通りなんだろうな、と。
では、どうしましょう。
若い人しかいないんです。それも村外からの。
「群れず属さず」
この言葉は、村長が非常に気に入っている言葉ですが、これは非常に難しい。
群れること、属すること、これは非常に楽だし、居心地もいいです。
学校でいうところの友達グループのようなものです。
しかし、その中には自己主張というものは抑圧されます。自分のいいたいことを主張するのは難しい。
周りの目を気にして、口を合わせる、みんな一緒、それらが何よりも優先されます。
群れず属さず、それが出来るのが村外の若者ということなのです。
若い人が意見を出しあって、ああでもない、こうでもない、と議論する、意見をぶつけ合う、これが必要なのです。
僕には今80歳になる村の人が強力なサポートをしてくれています。
この人の存在は自分にとって大きい。ものすごく。
人として素晴らしい。いつもその考え方に刺激をもらっています。
この年になってもまだ、村をどうにかせにゃいかん、こう考えています。
しかし、どうしていくか、という具体的な意見はなかなか出ないのです。
でも協力できることはしていく、そういってくれています。
僕はそれでいいと思っています。
年配の方ほど否定的、保守的な意見が多い。それは今までの人生において培われた処世術なのかもしれませんが、それでは変わらない。
ご年配の方ほど、これからの若い人の考え方、行動をよく見守って欲しいし、育てて欲しい。
泰阜村でも、草の根的に賛同者が増えてくれば、必ず良い方向に向かいます。
「自分だけが良くなるのではなく、みんなが良くなること」
綺麗事かもしれませんが、これが僕の願いです。
PR
この記事にコメントする
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
リンク
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[05/14 backlink service]
[11/11 takerururu]
[10/25 おしに]
[10/23 おしに]
[10/17 takerururu]
最新記事
(04/22)
(02/24)
(02/20)
(02/20)
(02/20)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
kazu
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1986/05/08
職業:
地域おこし協力隊(役場嘱託職員)
自己紹介:
新たに地域おこし協力隊を2名加えて、総勢3名で取り組んでいるほうれん草栽培をメインとした村おこし。
今年はなんとしても夏ほうれん草を成功させて、成功モデルケースの土台を固めたいところです。そのためにも、みんなで力を合わせて良い状況に持って行きたいです!
今年はなんとしても夏ほうれん草を成功させて、成功モデルケースの土台を固めたいところです。そのためにも、みんなで力を合わせて良い状況に持って行きたいです!
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
現在の閲覧人数
フリーエリア