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何もないところがいいところ。
2017/06月

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寒い日が続いていますが、みなさん体調は大丈夫ですか?
協力隊のメーリスでは、何人かがインフルエンザにかかった、とか体調崩して寝込んだ、という報告がちょくちょく配信されていています。
自分も体調には気をつけていますが、きっと今の食欲なら大丈夫だろうかと。(毎日2合づつコメを炊いてます!なのでコメの減りが早く、すでに底を尽きました・・・)

さて、12月に入ってからも忙しい日々です。
ソバ祭りのためのソバもいよいよ製粉を終え、あとは実行するのみ。
来年の活動準備のために、小学校の校庭の土壌分析をお願いしたり、予算計上のための見積もりを作ったりお願いしたり、東京に行って協力隊として是非やってもらいたい、とオファーしにいったり・・・
12月もすでに半分を過ぎようとしていますが、変わらず密度は濃いと思っています。
まずは自分のペースで、急ぎ過ぎず急がな過ぎず、引き続きバランスを保っていきます。

一番大変なのは今の協力隊としての活動もおろそかにせず、同時に来年の活動に向けた準備もする、というこのバランスをとることです。どっちも大事であり、手は抜けません。
どっちも協力隊の活動じゃない?という指摘もありそうですが、自分はそうは思っていません。

何かやらなきゃ、と自分を追い込むことは悪くはないけど、行き過ぎる癖があって、その結果一時期精神的に疲れていたことがありました。なので、今は仕事と私事とは分けるように努力しています。

もともと物事はキリがいいところで終わらせないと気が済まない質なので、活動時間が終わってもキリの良いところまでずるずると仕事をやっていることが今までかなり多かった気がします。
でも今は、活動時間内に出来ることに集中して、極力決まった時間内に終わらせるようにしています。
(どうしてもその日のうちにやるべきことは時間外でもやりますが)

自分が自由に使える時間を確保したことで、気持ち的にも余裕が出てきた気がします。
まぁ、最近はプライベートで少し悩み事があるにはありますが、悩みがあるのは生きている証拠。
悩むことを楽しむくらいの余裕が持てるようになりたいなぁと思います。

いつもまとまりが悪くてすいません。
あ、12月のふるさと通信が完成しました。20日までには協力隊のみんなの手元に届くかも!?
フライングでその一部をちらりと。。。
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今日、村長さんとの話し合いのなかで、緑のふるさと協力隊としての活動が終わった後の進路も絡めながらの話し合いがあり、来年4月から地域おこし協力隊として引き続き泰阜村に残ることになりました。

幾人の方からの推薦があったこと、そして地域おこし協力隊自体が今年から始まったこと、そして来年南北小学校が統廃合される、といったいくつかの時期的なタイミングが重なったことが進路を決める要因になったと思います。

正直なところ、泰阜村に来る前、もっと遡って言えば協力隊に参加することを決めてから、その後の進路として派遣先で定住することも1つの選択肢にしていました。

でも派遣先に定住するためには、そこに残りたいという気持ちになれる要素がそこになければ出来ることではありません。
でも幸いに泰阜村の人たちは良い人ばかり。親身になって相談に乗ってくれる人や普段から何かしら気にかけてくれている人、ちゃんと食べているか確認してくれる人、そういう人たちがたくさんいました。
また小学校の跡地利用の話が出たことも定住を決める上で大きな要因になったことは言うまでもありません。

泰阜村の発展のために自分が出来ることを精一杯していく。
今までたくさんの人に支えられて今日まで頑張って来られた恩返しはそういう形で返していきたいと思っています。

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こんなことを書くとブログのサブタイトルを否定することになりかねないわけですが、これはこないだ小海町へ協力隊交流にいっていろいろ小海町を案内してもらった時に思ったことです。


何もなさ過ぎてもだめだな。
こう率直に思いました。

町と村との違いもあるし、、また小海町と泰阜村とを単純に比較することはできません。
が、こうあったほうがいい、と感じたことを発信することが協力隊には求められているのは事実です。


村の家電屋にて、


「できない では できない」


というカレンダーが飾られていました。その通りですよね。
でもこれは全てに当てはまるとは思いません。本当に出来ないこともあります。
まぁこういうのは考え方次第でどうにでも解釈出来ると思いますが。


つまり、小海町の良さをそのまま泰阜に反映させることは難しくても、泰阜に合うようにアレンジして応用すればいいのかなぁと。

小海町は観光地なので、人が集まるような観光資源が溢れています。
泰阜村は、というと何もありません。温泉も施設もない。

あいパークという公園には、ボブスレーやパターゴルフ、マレットゴルフがあります。
でも現在採算は取れていないそうです。赤字を予算で埋めるということでしょうか。
これは泰阜に限らず、大々的に温泉やらゴルフ場やらを作ったところはほぼそういう状態です。

正直何で泰阜村でボブスレー?パター?と思います。どこでも出来るでしょう。
箱物はもう珍しくも何ともない。どこにでもあるんです。どこにでも。
では泰阜村では何が売りなのでしょうか。

やっぱり人じゃないですかね。僕が泰阜のどこが好きか、と言われれば「人」と答えます。
そしてこの特殊な環境。周りを川と谷とで隔てられた環境は日本中探しても珍しいと言われています。


特殊な環境+人=泰阜村←好きな人が集まる


これからは箱物じゃなく、人なんですね。
人を集める1つの手段として泰阜村農芸塾は1つの大きな手段になりうると思います。
農が人を呼び、人と農とを結び、人と人とをも結ぶ。
農業はカルチャー。人と密接に関わっているんです。
なんか泰阜村にも何かなきゃなって書こうと思ったら、結局人に行き着いちゃいました。

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村が村であり続ける。
少なくとも現在、合併ではなく自立の道を歩んだ泰阜村にとってどのような形で「村であり続けるか」考えることは、避けて通れない思案事項だ。


泰阜村は、現松島貞治村長の下、在宅福祉に力を入れ、安心安全な村を作った。
しかし、安心安全なだけではだめだ。「生きがい」も必要なのだ。


安心安全でかつ生きがいのある村。
そのためには何が必要か。
「産業」である。その1つが「農業」なのだ。


地域を変える人は「よそ者・馬鹿者・若者」だという。
その地域で生まれたわけでもないよそ者は、その地域のしがらみとかに縛られることがない。
馬鹿者・若者は突拍子もないことを思いつき、実行する力を持つ。可能性は無限大。
協力隊がその3要素を持ち合わせているのだろうと思う。協力隊は労働者ではなく変革者。


しかし、そういった行動や言動を村のための、地域のためととらえられない人も村の中にはいるだろう。
「意見」を「批判」ととらえてしまうことは、とても悲しいことだ。そう捉えられることも悲しいこと。
そういう人を、
「いやいや、そうじゃなくてこれこれこういうことでやっているんですよ」
と正しい情報を提供することも協力隊の仕事なのかな。


話を元に戻すと、つまり農業を産業として成り立たせるためには、若者の力なくしては実現できない。
そのために必要なこと、それは泰阜村で若者が農業で自立すること。
それには若者の間で話し合いをすることだ。

どうしたら農業で自立が出来るのか。 まずは泰阜村に在村していて、農業に興味があり、将来農業で生活していきたいと思っている人。 こういう人たちを巻き込んで、少しずつ輪を広げること。まずは3人を目標に集めたいと思う。


はっきりいって、自分は集団のの中心になったり、人の上に立って物事を進めることが苦手な人間だと思っている。ましてリーダーシップなんて取れるほどの力量もない。人間的魅力もこれっぽっちもない。

補佐が似合ってると常々思っているのだけれど、ある人はそれは逃げだ、と言う。
若いときは少しくらい無理して、自分に自信をつけることをしないとだめらしい。

でも、自分の中では、そういう「ネガティブな自分」を変えたいと思う自分がいる。
そういう気持ちが、大学で中国語サークル立ち上げて、初代会長として、力不足は百も承知でも、会を自分が卒業後もなんとか存続できるようにと頑張ることが出来たんだと思う。その時の1つのことを成し遂げたという達成感が、今も自分の前向きな人格を支えている大きな要素である。

今回の内容も同じだ。自分の力量以上のことが今目の前に迫っている。霧を掴むような感覚で、あまりに実感がなくて、怖くなることもある。出来るのだろうか、自分に、と。
昔の自分ならとっくに背中を向けて逃げていただろう。

今でもそうしたいという気持ちをもった自分がいるけど、大学時代のその達成感をまた味わいたいという自分もいる。日々そうしたネガティブな自分とポジティブな自分との戦いなのだけれど、きっとこの「農業で村おこし」という大きな大きなプロジェクトが軌道に乗って成功したときの喜びは、人生の中で格別大きな物になることは間違いないと思っている。

逃げるのは簡単。立ち向かうことで人間は一回り大きくなるのだろう。
そういうことを避けてきた自分に対する試練なのかもしれない。
来年も泰阜に残って、泰阜の発展、農業の発展のために頑張ろう、今はそう思っている。

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どうもです。
こないだ農事気象学会へ参加してきました。
北は北海道から南は福岡まで、およそ30名の農業関係者が集まり、今年の気象予測を振り返ったり、来年の気象予測発表があったり、そして夜の親睦会があったりと、いろいろと中身の濃いものでした。
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翌日から土微研の片山氏と茨城神栖市波崎にあるピーマン部会の巡回に同行(全国作付け面積一位)。
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その日のうちに茨城の勝田へ移動し宿泊、翌朝5時半出発で福島県郡山市にある夏秋トマト部会の巡回にそれぞれ同行、福島に関しては月1回片山さんを交えた勉強会を行うほど熱心に取り組んでいて、今年は特に出来がいいそう。
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午後2時過ぎに高速道路に乗って片山氏の地元静岡県焼津市へ直行。間に30分ほどの休憩を入れ、交代で運転したが、6時間ほどかかって無事到着。
片山氏の奥さんの美味しいお料理を頂き、お手製の梅酒に酔いながら、わざわざ僕のためにビジネスホテルを取っていただいたので、そこまで送ってもらって即寝。本当即寝ました。
あ、ちなみにこれが泊まったホテルの内装。改装してまだ月日が経ってないらしく、とても綺麗でした。
片山氏もまだ新しくなってから使ってないそう。すいません、お先です。
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翌日、焼津市でほうれん草栽培を今年から始めたという方のハウスへ行かせてもらった。
自分も泰阜村でほうれん草栽培の実験を今年から始めたとあって、勉強になりました。
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そして、お昼は東海道中五十三次の中で出てくる「丸子」という場所で有名なとろろ汁屋へ連れて行ってもらいました。正直東海道中なんちゃらは全くわからないですが。
残念ながら肝心のとろろ汁、というかとろろご飯を撮ることを忘れてしまいましたが、古民家で雰囲気が出ていて良かったです。味は若干薄めでしたが、2日酔いの荒れた胃にはちょうど良かったです。
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食事後、一度片山氏の事務所へ行ってお茶を飲みつつ、いろいろな資料をもらって、最後にモスバーガーのトマトを栽培しているサングレイス静岡工場へお邪魔してきました。
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ここで働いている向山氏が泰阜村にちょくちょく来てくれていたので、静岡で会うのがなんか変な感じもしました。いろいろと苦労していることがあるようでしたが、陰ながら健闘をお祈りしています!
この後、最寄りの掛川駅から17時13分発の新幹線で豊橋まで、豊橋から18時20分発飯田行きの伊那路3号にて無事泰阜へ帰りました。
今までにないくらい疲れたけれど、とっても貴重な体験ができた気がします。ありがとうございました!!

自宅へついて寝床へ入ったときの感想。
「やっぱ家が一番だに!」

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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
31
性別:
男性
誕生日:
1986/05/08
職業:
地域おこし協力隊(役場嘱託職員)
自己紹介:
新たに地域おこし協力隊を2名加えて、総勢3名で取り組んでいるほうれん草栽培をメインとした村おこし。

今年はなんとしても夏ほうれん草を成功させて、成功モデルケースの土台を固めたいところです。そのためにも、みんなで力を合わせて良い状況に持って行きたいです!
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